森高を聴きながら

森高を聞きながら、これを書いている。
近くのコンビニで買った、安物赤ワインとメカブ、海草サラダを食べながら。

1992年のころと言えば、そう、バブルの終りの頃だった。いやはじけたころかな。
あれから12年が経った。そう一回りしたわけである。
彼は、この12年、多分、疾走して生きたのだろうか。なんて思ったりした。

この森高の歌詞の中で「公衆電話で・・・」なんて歌っているのがある。
そう、このころは、公衆電話だったのだ。
もちろん、森高の歌は、女性からの立場(かどうか正確にはわからないが)からの歌である。気持ちは時代で、あまり変わらないとは思うが、
でも、、「公衆電話」は今、ないし、
気持ちは、ストレートに携帯に掛ければよいことだったりもする。

たしかに、時代は変わった。技術も進歩した。。。
だが、、しかし、、

何だろう。。

ある意味、後退している技術もあるが。。

うまくかけないなァ。。

今は、そしてこれからは、少なくてもInternetが存在しつづけるという前提であれば、
「情報の平滑化」は、どんどん進んでいく。
情報は、どこにでもある。そう、どこにもある。どの国でも。

そういう時代で、スペシャルティって、どう涵養していけばいいのでしょうねぇ。
専門家・・というものの立場は?